**** 道了尊:目次 ****
#1道了尊の言われと仁王門参道~本堂前
#2 境内の見どころ(本堂~)
#3 花と紅葉
#4 道標の歴史(街道筋から境内にたどり着くまでの道標(石柱などの道しるべ)の歴史)
箱根外輪山の明神ヶ岳山麓に、”足柄ふれあいの村”そして道了尊で知られる”曹洞宗 大雄山最乗寺”があります。四季を通じ参拝客が多く、福井県の永平寺、鶴見の総持寺に次ぐ格式を持ち、4000余りの門流を持っています。また、関東三十六不動の第二番の清瀧不動尊の札所でもあります。最乗寺は地元とのつながりが強く、導了さんとも呼ばれています。
■広大な山裾に点在する堂塔は30余塔からなり、杉の巨木林に溶け込んで、霊験豊かな雰囲気を醸し出しています。最乗寺は御本尊を釈迦牟尼仏とするお寺で、修行の場でもあります。道了尊は最乗寺の守護役として御真殿に御本尊として祀られています。
■南足柄市(関本)は、昔、東海道が箱根を通らなかった頃、東海道(後の足柄道)の宿場町であると同時に、最乗寺の門前町として発展しました。そしてその後、大雄山線が小田原から最乗寺への参拝鉄道として敷設されました(詳細は#4参照)。昔は”講”(信仰をともにする人たちの集まり)による参拝が多く、関東圏全域に及んでいました。現代では、家族連れから夫婦、若者のグループ、そしてバスを連ねた講の人達など、参拝と天狗パワーをあやかりに、幅広く、来られます。また、早朝には明神ヶ岳への登山の人達でにぎわいます。
■最乗寺の大きな魅力の一つでもある樹齢500年クラスの杉の巨木が、境内の周りに林立しています。特に秋には境内が紅葉で映えます。そして、杉の木から出る多量のフィトンチッドで森林浴ができ、巨木林に囲まれて標高が300m以上あるので空気が澄み、参拝することで心身共にリフレッシュできます。
■このWebは参拝の時のガイドに使えるように、案内図を用意し、参拝ルート例を記してあります。
…… ちょっと一言 ……
説明や歴史年表等は他のHPを参考にし、内容は正確に期するよう努めました。もし間違いがあればご容赦願います。
お寺の歴史や道了尊の言い伝えなどは数多くあります。参拝の際には事前に下調べをお勧めします。コメントは、素人の私の感想です。
■更新内容(サイト全体): 更新情報
道了尊の言われを紹介し、仁王門から本堂までの名所・史跡を紹介します。
……最乗寺の建設と道了尊の言われ……
室町時代中頃、応永8年(1401年)能登の総持寺などで修行を積んだ了庵慧明禅師によって開山されました。
■一羽の鷲が了庵慧明禅師の袈裟をつかんで飛び去り、足柄山中の大松の梢に掛けた。了庵禅師が大松のそばの石(坐禅石)の上に正坐すると袈裟が大松の梢から離れて了庵禅師の肩にかかった。このことによりここに大雄山の開山を決めた。
■師の了庵禅師が大雄山を開山するということを知った修験道満位の道了尊は、滋賀県の三井寺園城寺から了庵禅師を助けに天狗になって空を飛んで来て、500人分の力を発揮して建設に従事し、一年程で最乗寺を完成させた。これは天狗の神通力によるものと言われています。
■寺の完成後、了庵禅師が遷化されると、道了天狗は「もはやわが使命は終わった」として、寺を永久に守護するため、大雄山を護り多くの人々を利済する。(5つの誓願)を唱え、空中に舞い上がった。 そして右手に降魔の輪杖を持ち、左手に縛魔の剛縄を握り、両羽翼を生じ、全身を大火炎に包まれ、法衣を着て白狐にまたがった姿で、向かいの峰の大樹のしたに天降ったという。その時大地が震動して、全山が鳴動したと言う。 そして向かいの峰に棲みつき、いまも時々最乗寺の大杉に舞い降りては寺を守っているという。この時の白狐にまたがった天狗の姿の像が御真殿の傍にあります。
■その後天狗の道了尊は守護神として「御真殿」に祀られ、大天狗・小天狗が両脇侍として祀られている。そして奥の院には十一面観世音菩薩像(当山守護道了大薩埵の御本地)が祀られている。境内には天狗や高下駄などがたくさん奉納されており、 また、建設に際し、箱根権現・矢倉明神・飯沢明神などの神様の助けを借りたとあり、これを一体に刻んだ三面大黒天が三面殿に祀られている。
仁王門(写真をクリック・再クリックで元へ)
仁王門には東海法窟」の扁額と「最乗寺専門僧堂の聯 ( れん ) を掲げてあり、宗門の修行専門道場です。
案内看板(写真をクリック)
三門出口と総受付の右手に、左の案内看板が設置されています。
案内ルート図1/2(写真をクリック)
スタート地点はバスの停終広場です。パワースポットの位置8個所を記入しあります。また、不動堂、多宝塔以外はこのルートで写真を配列してあります。
■パワースポット:
1-坐禅石、2-本堂、3-結界門、4-御真殿、5-三面殿、6-奥の院、7-洗心の滝、8-慧春尼堂( えしゅんにどう)
(案内ルート図2/2)(写真をクリック)
#2ページ目の案内ルート図です(本堂以降~)。
パワースポット巡りの案内(写真をクリック)
●近年、若い女性の参拝客が多く見うけられます。女性の方はぜひパワースポットでもある慧春尼(えしゅんに)の参拝をお勧めします。詳細は次のページの最後に記載してあります。
#2 本堂から境内と奥の院、慧春尼堂まで(#2道了尊)
写真の左半分は「パワースポット巡り」の案内チラシ。右半分が「パワースポット巡りスタンプラリー」用紙(有料、4枚に織り込んであり、簡単な説明と地図が記載されています。上質の紙です)
尚、パワースポットは写真の説明タイトルに◆◆……◆◆記号を付けてあります。
仁王門出口にある天んぐ本店(写真をクリック)
左奥の建物は、天んぐ御膳や銘菓で人気の”大雄山茶屋 天んぐ本店”です。落ち着いた雰囲気の店内でお茶がいただけます。車道の右側に歩道専用の”天狗の小径”の入り口があります。
天狗の小径の入り口(写真をクリック)
仁王門から二十二丁目の茶屋まで車道に沿って、杉林の中にある歩道の”天狗の小径”です。約2km、標高差169mできれいに整備されています。
十八丁目茶屋(写真をクリック)
参道の十八丁目にある茶屋。おいしい”麦とろそば”やお土産があります。ゆっくり食事ができる雰囲気です。ここで昔懐かしいイナゴの佃煮を買ったことがあります。この先に慧春桜の看板があり、大雄川沿いに慧春の名を付けた桜が植えてあります。
袈裟掛けの松(写真をクリック)
22丁目手前の道下に、祀られている松の枯れた根元と石碑。「袈裟掛けの松」と呼ばれています。最乗寺開山了庵慧明禅師の袈裟が、大鷲により曽我の里竺土寺から運ばれて来て大雄山最乗寺建立の基になったという伝説を伝える大松の木です。右の碑に袈裟掛松の文字があります。坐禅石との距離がかなりあるのですが?
バス停広場から見た三門登り口(写真をクリック)
中央正面が三門への登り口の階段、左が開運橋を渡って夫婦杉、右が安気地蔵尊、右の燈籠の後ろが駐車場への入り口です。
安気地蔵尊(写真をクリック)
大雄山駅からの道了尊行バスの終点広場にある安気地蔵尊です。安気地蔵尊は入山し、修行に入る前にここで身支度を整える所です。周囲にお土産屋さんがあります。
夫婦杉(写真をクリック)
22丁目から明神ヶ岳に登る開運橋の傍に、しめ縄を飾った大杉があります。根元が繋がっているように見えます。
三門の階段入り口(写真をクリック)
三門の入り口です。左にある説明碑に最乗寺の概略説明があります。
■ここ三門入り口からの参拝ルートには、昔寄進された道標や講の参拝碑がたくさん残っており、歴史を感じさせる場所です。ぜひ立ち寄ることをお勧めします。
三門1(写真をクリック)
二階建ての立派な三門です。三門の右下に車道があります。(三門の意味は空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門で三解脱門を表すことです)平成15年(2003)に建築され伝統的な禅宗様(ぜんしゅうよう)とのこと。
三門2(写真をクリック)
五月の若葉に映えて、すがすがしく感じます。
三門出口の参道と杉の巨木(写真をクリック)
三門から見た参道。大きな杉があります。仁王門から先の参道廻りと境内を取り巻く斜面などに350年~500年の巨木の杉があり、県の文化財指定区域になっています。約2万本の杉があります。巨木は応永年間(1394年から1427年)に植林されたもので、環境が杉の生育に適しており、人工林でありながら、下草も多く、自然環境に近いものとなっているようです。特に大雄川沿いに、三門から瑠璃門まで巨大な杉が多く見られます。二次大戦の頃仁王門からの参道沿いに30本ほどの杉が供出されましたが、開山初期に全山の伐木禁止令などが出て、その後、保護、植林などで育成されてきたため現在の状況となっています。
参道の景色(写真をクリック)
参道を進む途中で振り返った時の眺めです。歴史の重みを感じさせます。寄進された多くの奉納碑が並んでいます。参道に並ぶ奉納碑は講の人たちが寄進されたものが多いようです。
◆◆坐禅石◆◆(写真をクリック)
参道を登っていくと左に相生橋があり、橋を渡った所に大雄山開山の坐禅石があります。そばに立派な石の説明板がありますが、同じように境内の主な見どころに設置されています。坐禅石の先の道は一般の通行にはNGです。
瑠璃門の入り口近く (写真をクリック)
参道を進むと、正面に宝物殿の背後と、右に「総受付」の立て札が見えてきます。宝物殿の外観は校倉作り風。総受付の立て札を右に行くと瑠璃門があります。
瑠璃門入り口 (写真をクリック)
通用門です。門をくぐると正面に書院、右に総受付の白雲閣が見えます。
瑠璃門の扉(写真をクリック)
扉に達筆の説明書が貼ってありました。扉に幅が1.86mの一枚板の杉の巨木を使用し、これに使った杉は直径2.5mとあります。
総受付の白雲閣(写真をクリック)
総受付のある建物で、御朱印はここでいただけます。大駐車場から直接お寺に入る時は、左端に見える道が近道となります。しかしこの道は三門を通りません。三門を通るには、少し戻って、終点のバス停広場からとなります。三門を通り、瑠璃門から総受付に出るのがおすすめです。
総受付前の広場(写真をクリック)
総受付の白雲閣から見た広場です。左側が回廊で正面が僧堂。右側が書院でその奥が本殿と御真殿と続きます。僧堂の後ろに杉の巨木林が見えます。
書院(写真をクリック)
■御殿の雰囲気の書院です。通常、内部は立ち入りできません。右下に講の参拝の方達の大型バスが見えます。
■階段の玉垣の両端に十六弁の菊に天狗の羽団扇をあしらった紋が刻まれています。
総受付から見た光明亭と本堂(写真をクリック)
手前の光明亭の後ろが本堂で、背後に杉の巨木が多数見えます。杉林が本堂を引き立たたせています。
■右端に見える大きなカヤの木は秋に実を付け、夜になるとムササビが食べにきます。また、回廊の上に伸びたカエデの枝を、なぜか20~30cm位に噛み切り、大量に散らかします。掃除が大変とのことです。
十数年前に大駐車場の脇の杉林に5匹くらいのムササビが住んでいて、暗くなると木々の間を飛び回っていました。ナイトビジョンで観察した思い出があります。ムササビには良い生育環境と思われます。
総受付から見た回廊と瑠璃門、僧堂(写真をクリック)
左手前が瑠璃門、その奥に小さく見える屋根が正門の碧落門。正面が僧堂。総受付の白雲閣から奥の僧堂まで回廊でつながっています。観光的なお寺とは違った雰囲気です。右下に蓮の花弁の形の手水鉢がありますが、溢れ出るる水の流れがユニークです。
僧堂(写真をクリック)
僧堂では多数の修行僧の方が修行されています。
回廊の中(写真をクリック)
回廊の途中に宝物殿の入り口があります。入り口の左右の壁に立派な彫刻が掲げてあります。
宝物殿(尚宝殿)の入口と仏像教室。(写真をクリック)
■この入り口と御真殿の傍に、お守札のお受け所があります。回廊の壁には、鳶職組合、消防関係、その他たくさんの献額が掲げられています。立て看板の上の鎌倉總組の献額に筆頭で金マークで小泉純一郎の名があります。
■仏像を彫る教室:回廊の一部で仏像教室が開催されています。月初めに般若心経を僧侶の方と一緒に読経し、作業を開始します。
入会して最初の彫刻は、樹齢500年程の杉の御霊木で倒木等を使用し、40cm高の聖観音菩薩像を彫ります。基礎から応用まで世話人の方が丁寧に指導され、世話人の方をはじめ幾人もプロ級の方々がいらっしゃいます。仏師は鉈彫りの先生で、仏像彫刻の真髄を指導されます。
秋に作品展と開眼供養が行われ、作品展は写真の宝物殿で行われます(立て看板)。他にヨガ、坐禅等の教室や体験講座もありますが、お寺本来の年中行事や催し物がたくさんあるので、大雄山HPでご覧ください。
・仏像彫刻を彫る教室の詳細(仏像彫刻の#1)
碧落門 (写真をクリック)
入口側から見た碧落門(正門)。その先に本堂が見えます。
初代の和合下駄(写真をクリック)
碧落門入り口の階段下に、初代の和合下駄があります。奥に見える明神橋の左側に、”明神ケ岳ハイキングコース入口”の案内の道標と、右側にコース案内板があります。
南足柄ハイキングコース案内図(写真をクリック)
明神ケ岳へのハイキングはこの碧落門からが一般的のようです。明神ケ岳は標高1,169mでハイキングでなく軽登山またはトレッキングと思います。
足柄道以前の古い時代の箱根・足柄越えは、ここ関本~明神ケ岳~宮城野~碓井峠~仙石原が使用され、最古の路とされていたようです。そしてこの山を越えるのはハードで、旅人の安全を祈るために、山頂に明神を祭ったのが明神ケ岳山の名の由来とのことです。
登山案内図拡大(写真をクリック)
中央部を拡大。
旧御真殿の跡地(写真をクリック)
明神ケ岳へのハイキングコースを、少し登った所の広場の奥に、旧御真殿跡地の石碑があります。道は山道で少し危険を伴います。”威徳神通導了大薩埵御真殿旧蹟地”と書いてあります。