…… ちょっと一言 ……
■御真殿でのご祈祷は、大般若波羅蜜多経の転読で、折りたたまれた経典を空中で扇を開くようにめくって行います。唱えるお経も含め、大変迫力があり、天狗のご加護を感じる事ができます。ぜひ一度はご祈祷を受けてみてください。 時折、合図のほら貝の音が境内中に響き渡ります。運が良ければ聞くことができます。
(案内ルート図1/2)(写真をクリック)
#1ページ目の案内ルート図です。(バス停広場~本堂まで)
■パワースポット:
1-坐禅石、2-本堂、3-結界門、4-御真殿、5-三面殿、6-奥の院、7-洗心の滝、8-慧春尼堂( えしゅんにどう)
案内ルート図2/2(写真をクリック)
◆◆本堂1◆◆(写真をクリック)
御本尊は釈迦牟尼仏、脇仏の文殊菩薩 普賢菩薩の三尊仏が祀られています。この本堂と御真殿は、築地本願寺を手掛けた高名な建築家の伊東忠太氏が設計されたそうです。左に常香炉があります。 地形も関係していますが、多くの堂塔は、石段を登って少し高くなった所にあり、立派な建築と相まって心理的に品格が高くなっているように感じます。
本堂2(写真をクリック)
背景の林の緑で引き立ちます。
開山堂1(金剛壽院)(写真をクリック)
開祖了庵慧明禅師尊像等、歴代住持霊牌を祀っています。
開山堂2(金剛壽院)(写真をクリック)
お寺の行事、お祭りなどに、本堂、御真殿、開山堂などは写真のカラフルな五色幕で飾ります。また総受付と各門には寺院幕が取り付けられます。
金剛水堂(写真をクリック)
老人に姿を変えた三神が、”ここを掘れば豊かな恵みがかなえられる”と、了庵慧明に啓示を与え、道了尊がそこを掘ると御金印(鉄印)おかのいんが出てきて、水が溢れ出たそうです。開山以来600年の間枯れることなく沸き出ている霊水は、”この霊水を飲む人の諸病を癒している金剛水”と言われています。
■足柄の地域には品質の良い水が豊富に湧き出ています。富士フイルム(当時の社名は大日本セルロイド)の工場がこの地に建設された大きな理由は、”大量の良質の水”が豊富に湧き出て、“きれいな空気”の環境であったとのことです。「平成の名水百選」に神奈川県でだだ一ヶ所、富士フイルム工場の近くの「清左衛門地獄池」の湧水が選ばれています。
一擲(いってき)石(写真をクリック)
寺を建設している最中に、了庵慧明が道了尊を用のため呼んだ時、道了尊は持っていた大きな石を投げ捨てて、禅師のもとに駆け付けたと言い伝えられている大きな石です。
鐘楼(写真をクリック)
柱に刻んだ彫刻が目を引きます。
松平大和守直基の墓(写真をクリック)
墓の傍に説明書きがあります。徳川家康の次男秀康の五男の直基が、姫路に向かう途中で発病し死去し、最乗寺に葬られたとのことです。徳川将軍家と最乗寺の関係が深く、また直基が最乗寺に対する信仰が深かったと記述があります。墓の先端がとがっています。
真夏の緑のトンネル(写真をクリック)
真夏の境内は直射日光の当たるところは暑いですが、周りが巨木のため、日陰で風が通れば涼しく感じます。ふもとの街中に比べ4度前後温度が低くなるようです。
不動堂(清瀧不動尊)(写真をクリック)
本尊の不動明王は清滝不動。不動堂には清瀧不動尊、天祐不動明王、愛染明王がお祀りされていて、大山不動尊に次ぐ関東三十六不動の第二番札所にあたります。不動堂が瀧と湧水地のある場所に祀られることで、修験道の文化が見られます。参拝に来られる方もたくさんおられます。
◆◆不動堂と洗心之滝◆◆(写真をクリック)
「洗心之滝」の水は奥の院の西方の峯から湧き出ている湧水を引いたものです。右下に水神様の祠が見えます。
水神様(写真をクリック)
小さいながらも立派な祠に安置されています。
多宝塔1(写真をクリック)
多宝塔は江戸時代末の文久三年(1863)年に建立され、多宝如来(釈尊以前に悟りを開いた仏の1人)を祀った逗子が安置されています。大正15(1926)年と昭和3(1928)年の火災を免れ、江戸時代の技術と手法を残す最乗寺で最も古い建物です。
多宝塔2(写真をクリック)
不動堂から下る途中で階段から見た多宝塔。
多宝塔脇の鰐口(写真をクリック)
神社の鈴に相当するもの。
十三層塔(写真をクリック)
仏塔です。
結界門と御供橋1(写真をクリック)
結界門より奥は道了尊の浄域になります。その手前に御供橋と圓通橋があります。
御供橋と圓通橋2(写真をクリック)
圓通橋の中央部分が御供橋になっています。御供橋は修行僧が道了尊へお供えをするための橋です。お供えは僧堂の後ろにある御供堂で作られます。米と小豆を金剛水と権現水で蒸し、霊櫃に容れ、御供式中に献供します。
◆◆結界門◆◆(写真をクリック)
門の両脇に大天狗と子天狗が浄域を守るため、睨みを利かしています。この門をくぐると浄域となり、杉の巨木がまじかになります。霊気漂う林の中に入っていく感じがします。
大天狗(写真をクリック)
大天狗は山伏の姿をしています。山岳信仰の山の神の天狗です。
三面大黒天の説明にもありますが、箱根権現が最乗寺の建設に協力したとあります。箱根権現の修験者(山伏)たちのことかも?鼻の高さはさほど高く見えません。大天狗の姿で手に持っている団扇はヤツデやシュロとでなく自身の翼で作った羽団扇です。そして羽団扇には強力な神通力が備っており、火炎、人心、風雨、雷雨等自由自在に操れるようです。
小天狗(写真をクリック)
甲冑姿で左腕に火を吹いている悪魔の顔?がありますが、何を意味しているのでしょうか?
結界門を通る(写真をクリック)
門を通ると霊験あらたかな雰囲気を感じます。結界門をくぐり右手の大きな石段を登ると御真殿(妙覚宝殿)です。左に行くと三面殿を通り、坂道を登って御真殿に行けます。(案内図の点線ルート)
御真殿への石段(写真をクリック)
石段の上の先に御真殿が見えます。
◆◆御真殿◆◆1(写真をクリック)
当山を守護する妙覚道了大薩を御本尊として、大天狗・小天狗が両脇侍としてお祀りされています。ここで行われるご祈祷はすごい迫力で天狗パワーが感じられます。ご本尊の道了尊はお札(影符)の絵にある翼がないカラス天狗と思われます。
■明治以後「道了大権現」の「権現」を、「大薩埵」(道了尊)に改称されています。道了尊は、修験道の満位の位の行者であったので、最乗寺建立には修験者の協力があったのかもしれません。大山と同じく大雄山は山伏の修験道の場として、山岳信仰すなわち山神=天狗の存在があっても不思議ではないと見る向きもあります。尚、権現、明神は神仏習合の意味合いがあるそうです。
御真殿2(写真をクリック)
右奥に宝物殿と同じ守札のお受け所があります。この御真殿で祈祷を行います。
■明治維新の時に神仏分離により、修験道に基づく白山権現が廃止されるまで、曹洞宗の永平寺は白山権現を守護神としており、道了尊も同じように修験道との関係で山岳信仰の山伏文化を色濃く伝えている寺院のようです。
**白山権現は山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、十一面観音菩薩を本地仏とする。
御真殿3(写真をクリック)
何を祈っているのか一心に祈る少年。帽子を脱げば尚良いのだが。
和合の高下駄(写真をクリック)
最初に奉納された下駄は、正門の碧落門の入口にありますが、ここの高下駄はさらに巨大で3.8トンあります。下駄は左右一対で用をなしますが、夫婦も同じことで、夫婦和合の下駄とのことです。天狗はふつう一本の歯の下駄をイメージしますが、ここには二本歯の下駄が多いです。一本歯の下駄は修験者(山伏等)が主に用いたらしく、このことから天狗が履いていたとされたようです。
白狐の上に立つ烏天狗。(写真をクリック)
最乗寺を開山した了庵慧明禅師が亡くなった後に、法衣を着て白狐にまたがった天狗の姿になって、向かいの峰の大樹のしたに天降ったといいます。その時の翼のあるカラス天狗のお姿です。
道了尊のお札は、この像に似ていますが、翼がない像になっています。最初は翼を生やしたカラス天狗が、翼を落とすと大天狗に昇格するとのことです。
十一面観音菩薩(写真をクリック)
道了尊は 「十一面観世音菩薩」の化身と言われています。(当山守護道了尊の御本地)
三面殿と巨木を上から見る(写真をクリック)
新緑に映えて、正面に杉の巨木、右側に三面殿の社(やしろ)が見えます。大雄山の新緑の若葉は淡い緑が映えて撮影ポイントもたくさんあります。
杉の巨木(写真をクリック)
三面殿の前に杉の巨木があります。最乗寺の開山は室町時代中頃の1394年ですから、もしその頃この杉が植林されたなら、樹齢600年位になります。小田原提灯の一部に道了尊の杉の御霊木を使い、箱根越えをする旅人の護符として重宝されたとのことです。
◆◆三面殿◆◆(写真をクリック)
白い頑丈そうな社(やしろ)に三面大黒天が祀られています。三面大黒天は最乗寺の創建に協力した三神が一体となって七福神の大黒様になった像です。三本の手には小づち、巻物、大きな袋を握っています。隣の納札所に三面お姿の掛け軸が販売されています。
■三神とは箱根の清水の神様(箱根権現)、矢倉沢のマキの燃料の神様(矢倉明神、現在は足柄大明神)、飯澤のお米の神様です。尚、飯沢大明神と足柄大明神は参道一丁目から少し下の南足柄神社に祀られています。
狛犬(写真をクリック)
三面殿の前にあります。
参拝者の悪魔を除いてくれるという狛犬。よく見ると母犬が子犬を抱えています。授乳中?
観音菩薩(写真をクリック)
三面殿の前にあるので、箱根の清水の神様の本地仏?
奥の院入口の冠木門(写真をクリック)
もっとも神聖な区域とされる奥の院の入口の門です。冠木門 ( かぶきもん )
216段の階段(写真をクリック)
最後の216段の登り始めに天狗がにらみを利かしている。視線は階段を登ろうとする人をじっと見ている。
大天狗(写真をクリック)
大天狗。髭が無く若そうな顔。結袈裟の梵天(ぼんてん)の丸い[房]の一個が子天狗より立派。ランクが上のため?
大天狗の後ろ姿(写真をクリック)
大天狗の後ろ姿も見ごたえがあります。
小天狗(写真をクリック)
結界門の子天狗と違い、腕に悪魔の顔?が無く、山伏の姿。室町時代以前の天狗は全てカラス天狗であった。それ以降鼻の高い天狗が現れたとのこと。ここの天狗は高尾山と同じく飯縄系の天狗で、高尾山と同じだそうです。高尾山近辺には鼻高天狗が多くみられるが本尊の天狗はカラス天狗だそうです。
216段の階段勾配(写真をクリック)
上を見ると気の遠くなるような階段。急勾配で216段の連続のため、私の年では一気は無理。奥の院に階段の数が記載されていたので転記します。
階段:下から11,60,40,2,2,17,216 [計348段] 3,冠木門 3,[浄財箱] 合計354段
標高;奥の院429m 総受付玄関前334m 本堂344m 御神殿364m 216段下396m 大慈院291m バス停282m 仁王門113m 大雄山駅45m。
仏像を彫る教室の有志の方は、毎回昼休み時間に奥の院まで登り、拝殿でお参りします。
◆◆奥の院慈雲閣の正面◆◆(写真をクリック)
本尊は十一面観世音菩薩。(当山守護道了尊の御本地)
奥の院(写真をクリック)
提灯に十一面観音の文字。
奥の院 建物(写真をクリック)
建物が二つの様式?からなっている。
御詠歌(写真をクリック)
奥の院の扉の横に掲げてある額板には御詠歌が刻まれていました。
絵馬(写真をクリック)
この絵馬掛け所の左後ろから坂道の帰路があります。
奥の院から坂道で戻る(写真をクリック)
奥の院の右側から階段の無い緩やかな下り道で帰れます。途中から御真殿と山廟所、慧春尼堂への道が別れます。御真殿側に折れると御真殿の手前で不動堂にいけます。
◆◆慧春尼堂1◆◆(( えしゅんにどう))(写真をクリック)
奥の院から坂道を下るか、大駐車場入り口から坂道を登ると、すぐ近くにあります。静かな林の中にひっそりとたたずんでいます。
慧春尼堂2(( えしゅんにどう))(写真をクリック)
開山した了庵慧明禅師の妹で、出家した慧春尼が祀られており、たくさんの女性が参拝に来られます。慧春尼が火の中に自らの身を投げて入滅(火定)し、身を以て供養したとあります。
慧春尼( えしゅんに)(写真をクリック)
慧春尼像です。
仏への深い信仰心を持つ慧春尼が、多くの人々に仏の救えを伝えたくも、女性であるがため、出家が容易に出来なかった。この言い伝えを、ボランテアの方が時折説明されています。
叶え布1(写真をクリック)
たくさんの叶え布が奉納されています。赤と白のカラーが森に映えています。
叶え布2(写真をクリック)
叶え布は総受付で購入できます。布に願い事や悩み事を書き奉納します。
御開山廟所(写真をクリック)
開山された三禅師の墓所です。三禅師の妹が慧春尼です。慧春尼堂のすぐ上にあります。